小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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文化素材(8)

若者文化


Photo by tibchris  (http://www.gatag.net/03/05/2010/050000.html)
Photo by tibchris (http://www.gatag.net/03/05/2010/050000.html)

少し前
 古今東西、時世時節なりの若者文化がある。文化という前に風景からみてみる。昭和40〜50年代の小樽の若者達のメッカは静屋通りだった。ファッションは圧倒的にジーンズにTシャツ、そしてスニーカーに男も長髪だ。この時代は小樽史上ピークの人口となり、若者の数も恐らくピークだったと想像できる。
 喫煙者も多く、タールやニコチンのミリ数を気にする者もなく、パッケージデザインで「映画でジャン・ギャバンが吸っていた」などの短絡的な理由がもてはやされた。そして圧倒的多数の若者を引き寄せ、若者同士を引き合わせたのは紛れもなく音楽だった。

音楽文化
 団塊の世代といわれる現在60〜70歳代の層が、日本にグローバルな音楽を持ち込み、和製フォーク、和製ロック、和製ブルース、和製ジャズなどを同時に創り上げていた。国家とは何かを厳しく問う世代にとって、国境無き音楽はまさにうってつけのはけ口であり、解決の糸口にさえなっていた。
 小樽にアマチュアバンドが最も多く形成されるのは、団塊の次の世代である。昭和50年代に入りカラオケなる装置が誕生しても、多くの若者は生バンドに熱中した。なぜならカラオケを置く店は団塊の世代よりまだ古い大人の層が出入りする店しかなく、したがって歌われるコンテンツは専ら演歌や裕次郎で占領されていた。音楽の棲み分けほど明確なものはないようだ。

音楽の祭典
 こんな時代にポートフェスティバルが運河保存運動という背景から全国的な話題となって小樽で華々しく開催された。
 ポートの会場ではロックやブルースのステージ、フォークのステージという2つの音楽コーナーが設置され、棲み分けされたかのようにそれぞれの聴衆が陣取る祭典となっていた。このポートに音楽がなければと考えれば、その偉大な力と影響力に改めて驚きを隠せない。
 100%右脳で感じて右脳で体を揺する陶酔がそこにはあった。損得や理屈はどこにも見あたらず、アルコールを注ぎ足す如くにアンコールの拍手が沸いた。

右脳のアウト&イン
 右脳の反応に理由は不要だ。しかもその仕組みも単純だ。「この感じいい」と右脳が反応すれば、頭を振り足が動く、これだけだ。この右脳体験抜きの人生の味わいは不毛だとさえ思える。「歓喜踊躍」と親鸞は阿弥陀如来に出会ってその心を表現したように、人は科学の進歩を求めると同時に渇いた右脳を満たすことをいつも求めている。理由要の左脳を司る左手と、理由不要の右脳を司る右手を合わせる合掌が、全ての宗教の祈りの姿であることは偶然ではないだろう。
※歓喜踊躍…体が喜びを感じて自然に踊るように動き出す

不足する右脳感覚
 国柄と時節はともかく、人口減少と産業衰退に苦しむ小樽ではますます右脳に刺激を与えてくれる場が減少してきた。右脳への刺激は老若男女を問わず求めるが、特に若者が求めている。戦後のハードとソフトとニッチを築いてきた先輩から語られるのは専ら「べき論」で鬱屈を呼び、若者はその重みに耐えられずにいる。重みに耐えられないトラウマがアナログのコミュニケーションを避け、いつでも逃げ込めるデジタルのコミュニケーションに引きこもっている。右脳で自らの潜在を発揮できないから「重み」を「やる気」で跳ね返せずに、上からの設計図で歴史は刻まれようとしている。小樽いや日本の現代史の危機ともいえ、消費税やTPPや民主党分裂よりはるかに大事な社会問題だ。

右脳市場の創造へ
 音楽、アート、パフォーマンス、スポーツ、食などの分野で、若者自らが求める市場を創りたいと思っている。社会構造のハード、ソフト、ニッチが埋められてきた以上、社会変革は根底からであるほど重いが、手掛かりは右脳市場にこそある。既存の枠を脱し、北運河ゾーンにそんな市場を模索し、べき論しか語れぬ世の大人達に「これも観光になるね」と言わしめるエネルギーが欲しいと思う。