小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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alwHOMEalw読んでみるalw帰化人(46) 小樽こだわりのライフスタイル

帰化人(46) 小樽こだわりのライフスタイル

ゾーニング&プロデュースで新たな小樽を
伊藤 正明 氏

NPO法人OBM理事長
〒047-0032
小樽市稲穂2-22-1 経済センター6階
TEL&FAX 0134-24-2161



沿革
 昭和23年札幌で生まれ、郵便局勤務の父親の転勤のため3歳で余市に移転、余市高校卒業後日本大学芸術学部に入学するが父の訃報により中退し昭和47年帰郷。北海信用金庫理事長と生前父親が懇意であったことから同年11月余市を本店とする北海信金入行。昭和62年に38歳で支店長代理として小樽に赴任し、即小樽青年会議所に入会。27歳から修行されていた茶道の裏千家では、昭和63年に小樽支部青年部長に就任され、小樽で開催の様々な行事に参加し多くの経済人との交流を持つ。

幼少期の小樽観
「余市育ちの私にとって小樽の原風景は都会そのものでしたね。デパートが3店もあり、私は大國屋デパートの最上階にあったテアトルダイヤという映画館でビートルズの映画を観た時は都会の小樽を堪能した興奮に酔いしれたものです。また中学・高校時代にもよく小樽へ遊びに来ましたが、女性の美しさには驚きの連続でした」
 ある美容の先生がこう語っていたことを思い出す。
「昭和30年代には既に現役の芸者さんはほとんどいませんでしたが、花街としての花園には夜の店で自らを美しくするノウハウとセンスを身につけている方が多くいました」
 この花街であった事実から継承された女性の美が伊藤氏の素朴な心に衝撃を与えたようだ。

初赴任時の小樽
「昭和62年に小樽勤務を2年間に命じられた時の小樽は。まさに観光現象の鰻登りの時代でしたね。昭和61年に整備された新生小樽運河には多くの観光客が押し寄せ、現在のホテルビブラント小樽の通りを通行止めして開催されたサマーフェスティバルにはJAZZが好きだったこともあり毎日遊びに行きました。ですから小樽はこれからまた新たな都市づくりに邁進するなと感心していました」

再赴任時の小樽
 平成17年9月に常務理事を兼ね小樽支店長として小樽に再赴任する。
「しかし観光やまちづくり運動が盛んな事実は変わりませんが、経済は実に冷え込んでいました。そこで金融機関としてなにかできないかと考え、地元の小樽信用金庫さんと協働で『小樽市地域活性化への提言~働き、住み、楽しめる自立都市・小樽へ~』をまとめることになりました」
 この提言ではゾーニングという新たな手法を用いた活性化案が提言されている。そしてなによりも地元の金融機関が協働で地域経済を洞察した実績は今後の小樽に重要な一石であった。

NPO法人OBM
「平成24年3月、私が北海信金を退職して間もなく小樽商工会議所会頭山本秀明氏からご連絡を受け、小樽の観光・物産振興を目的としたNPO法人を立ち上げる予定だがあなたに一肌脱いでいただけないかと依頼されました。私は夜のお店も様々な経済人と飲む機会が多く、実におもしろい方々との出会いが大好きでしたし、そのこと自体に小樽への愛着が染みついていたので二つ返事で受けさせていただきました」
 同年11月27日にNPO法人の認証を得たOBM(小樽ブランディング&マーケティング)の理事長に就任され、大きく分けて3つの任務を掲げている。観光関連の公的機関が加わる5者会議では小樽観光戦略を、さらに様々な観光振興のお手伝い、そしてOBM自らが影になって推進する新観光ゾーンづくりである。

北運河プロデュース
「私が途中乗車したOBMの前進は観光・物産振興を目指したプロジェクトの議論がベースになっています。それは新たな観光ゾーンとして北運河と旧手宮線の再開発により、小樽独自の交流や国際化を図るという方針です。したがって北運河ゾーンの開発プランをしっかり調査して提案していきたいと考えています」
 OBMが新たな観光ムーブメントを起こし、小樽を一つにする求心力を持つことが期待される。