小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

私的宗教観
編集人 石井 伸和


宗教とは
 人間はその本性として不安を持つ。この不安を癒す道として、たとえば母親が「私が守ってあげるから」とか、恋人が「俺がそばにいるから」ということも効き目があるが、親や恋人という他者に依存せず、不安を囲った者に心の持ち方を授けるのが宗教といえる。いずれも不安を持つ側に「信じる」という手続きを擁するが、宗教は親や恋人と違い、個人の自立や自律を基本とし、「信じる」対象に心の持ち方、いわゆる「体系」を示す。

体系スタイルあれこれ
 たとえば釈迦がインドで紀元前に築いた仏教は、渡来し、この国の教祖たちを通して、様々な仏教の体系を示した。
 真言宗を唱えた空海は曼荼羅という複雑な絵図が示すように、宇宙すべからく一つの真理で成り立っているというスケールの大きさを悟した。
 曹洞宗を唱えた道元は坐禅という方法で、こびりついたものをそぎ落とし可能な限りの無の境地を求め、その境地こそ真理であるという潔さを悟した。ちなみにこの考え方が「わびさび」を美とする文化を生んだ。
 浄土真宗を唱えた親鸞は悪人こそ弱いのだから救われるべきといい、念仏を唱えることによって誰もが安心の窓口を得、聖と俗と念仏を串刺しにしたおおらかで母性豊かな真理を悟した。
 法華宗を唱えた日蓮は立正安国論を著し、公の機関もまた哲学を持つべきといい、無節操なまつりごとに警鐘を鳴らした。
 いずれも安心の向こうには真理があって、この真理の捉え方によって無限の安心を得ようとする体系だ。

考え方
 同じ仏教でありながらこれほど多様な考え方があり、その全てを釈迦が認識したかはともかく、互いに影響はあったとしても、いずれも空海・道元・親鸞・日蓮らのオリジナルと考えた方が自然だ。だから無理に釈迦からの系譜をこじつけるより、その時代その社会という環境から生み出された珠玉の知的財産とみた方がいい。
 なぜなら、それぞれの宗教(考え方)が提唱された時代背景を探れば、心から喝采を送りたいと思うほど、リアルタイムな真理観がそこにあるからだ。

東日本大震災
 震災はともかく、副作用としての原発問題に対して、彼らは何とするだろう。真言は曼荼羅の絵図に放射能を入れるのか、曹洞は放射能をそぎ落とす術を持つのか、真宗は俗の延長に誕生した放射能で串を溶かさぬのか、法華は戦禍でそして災禍で放射能の犠牲になった国のまつりごとを…
 新たな考え方を持つのか、あるいは放射能を是認し、その防災を強化するのか、道はいずれかしかない。

ANPO
 ニューヨーク在住のリンダ・ホーグランド監督、2010年公開の「ANPO」を観た。いわゆる安保闘争をアーティストの視点で語るドキュメントだ。この中で、串田和美氏がこんな詩を読んでいる。

 僕は戦争は嫌だ
 あんな馬鹿なことを絶対にしたくない
 誰でもそうだろう
 それなら
 その戦争の道具をなぜ
 揃えようとするのだ
 戦争が起きたら助けてやるとか
 その代わりお前も戦争の手伝いをしろとか
 軍備という意味のない
 くだらないものにお金をかけるような
 ことになるような国と国との子供じみたいがみ合いを
 もっと大きくするような
 そんな約束を
 今の日本はしようとしている

選択
 進むのか、戻るのか、いずれしかない。人間の制御できない性質が戦争を起こし、その果てに制御できない核を生んだ。誰もがびびっている。放射能は海流や気流を通して流れ込む危険があるからだ。
 答えは簡単だ。戻ればいい。ところが文明の不可逆性という壁に人類はぶつかっている。一度、便利さを得た者は後戻りできないという壁だ。だから防ぎながら進もうとする。
 いま人類も国も世界も新たな宗教が必要だ。