小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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インフラ(16) 地域のためになくてなはらないものたち

北運河と手宮線


運河と手宮線
 手宮線は明治13年に幌内から石炭を輸送する目的で敷設され、運河は大正12年に増大する貨物船の荷役を合理化するために建設された。運河再開発の際には全国に鳴り響く運動に盛り上がったが、手宮線再開発は実に静かだ。理由は「運河を潰せ」という勢力があったからだろう。
 いずれも当初の目的を終え放置されてきたことは共通する。どちらがどれほど大切かは愚問だ。
 ここでは過去に築かれたインフラが目的を失い放置され、今後再開発をどうするかという視点で考えてみたい。

現状
 運河は海岸線約1・2kmを貫き、手宮線は市内の背骨約2・8kmを貫いている。用を足さなくなったインフラが新たな価値を持って再利用される事例は世界中にある。小樽の両者も同様だ。小樽に訪れる観光ビジターの多くは運河を歩き、観光リピーターの多くは手宮線を歩く。運河はウォーターフロントや湾曲した構造、あるいは周辺の石造倉庫群との一体化が美しく、手宮線は由緒深き歴史性や中心市街地の背骨という位置づけ、あるいは石蔵や社屋家屋の裏側を貫くシュール感に趣がある。
 いずれも新たな価値に向けては未然を呈している。運河は中央運河に自然発生的に観光客は歩き北運河と手宮線は全てが未然形だ。もし北運河と手宮線が新たな観光拠点に変身すれば、小樽観光はその回遊的徒歩観光としては国際的にも誇りうる広域になる。
 ただし、堺町や中央運河の延長で想像すれば、その広域もあまりおもしろくはない。

展望
 俗な言い方で問うなら「どんな人々にきてもらいたいか」でいい。すると仮定として「北運河には若者が、手宮線には外国人が」と答えてみよう。であるなら北運河は若者が、手宮線は外国人がスタッフとなって具体的な再開発や誘致活動を主導すればいい。堺町と中央運河は自然発生的に形成され、主に家族単位での客層が大部分を占めている。この先駆けは、小樽が観光都市になるか否かの尺度となり、充分その可能性を証明してくれた貴重なゾーンだ。
 だから小樽観光の本番はこれからが見せ所だ。なぜなら小樽人がプロデュースできる未然を呈しているからだ。自然発生の堺町と中央運河は歴史的建造物の再利用を牽引役として変貌してきた。しかし「小樽に縁もゆかりもないもの」「俗な売らんかな主義の広告物」「6時以降は閉店」などの課題はいかんともしがたい問題として解決されずにいる。

未来予想図
 北運河では、アート制作の若者が感覚やセンスを競って錬磨し創造、新たな音楽を追究する若者が練習し演奏、創作料理を研究発表する若者が軒を連ね、手軽に出来るスポーツゲームが行われ、パフォーマンサーが大道芸を披露し、新たなファッションの発信源となり、交流のための飲食が夜遅くまで酌み交わされる。北運河の歴史的なロケーションに合う品格で、再利用され新築もされ、昼間の風景や夜間のライトアップ風景がネットを一人歩きする。
 手宮線では、バリの家具職人、タイのマッサージ、ベトナムの自然アート、香港の屋台料理、台湾の創作料理、韓国のIT、オーストラリアのアウトドアライフなど国際色豊かなアイテムと外国人が営業をする店舗、交流する会場が設けられ、沿線には古民家を再利用したシェアハウスが整備され、店舗はあくまでも小樽らしく軟石造りの新築が軒を連ねる。桜を植樹し春には世界一美しく、冬は雪あかりの路が洗練され世界一温かい冬が生まれる。
 市内の古民家には自分のライフスタイルを持つ人々が住み着き、ささやかなライフワークで生計が守られ、むしろどんな人生価値なのかを聞く人間観光の拠点となる。
 こうして小樽には、今まで小樽の中では限界があったことを超越し、自己を創ろうとする若者、自己文化をアレンジしようとする外国人、自己のライフスタイルを実現しようとする人々が集まってくる。
 本年3月にNPO法人OBMが小樽市に補助金を得て答申した『北運河および周辺地域観光戦略プラン』は、その方向性で骨格のみが提起されている。まさに産官学民の合意プロデュースだ。