小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalwまちづくり運動から学ぶ(33)

まちづくり運動から学ぶ(33)

経営とまちづくり
石井 伸和


温泉マークのマスクで正義の味方へ
温泉マークのマスクで正義の味方へ

中小企業家同友会有志
 私の会社 石井印刷は北海道中小企業家同友会小樽支部の会員だった。社長である母は女性部会、息子の私は青年部という位置づけで深く関わっていた。青年部は正式名称青年経営者懇談会、略して「青懇」といった。いわば後継者の集まりだ。昭和56年に北海道青年経営者共育交流会が祝津の天望閣で開催され、森川商店の社長森川正一氏が基調講演をされた。「私は四代目だがいつも創業者だと思って新たな事業に挑戦している。でなければ親も超えられないし歴史も創れない」という発言が小樽の青懇の座右の銘にさえなっていく。
 この青懇の中でもよく運河の議論が活発に行われた。年齢的には青年ではなかったが、浜田商店の浜田紀郎氏は青年の心をもって、よく我々の指導役を演じてくれた。いやむしろ煽ったり勇気づけたりしてくれた。そして懐の深い方だった。私はこの青懇の仲間に、ポートに出店しないかと提案し、誰もが二つ返事で了解してくれた。
 しかし中小企業家同友会は一切政治には偏らない規則があった。だから政治色が強くなった運河の運動に同友会の名前で参加することの問題提起が幹事会でなされた。結果的に同友会有志で参加ということになり、10社が参加を申し出てくれた。祝津で木箱製造をされていた浜田商店を準備の事務所として使わせていただいた。硝子ケースの木組がいくつも積んであるのを仲間が見つけ「あれをテントの骨格にできないだろうか」と提案した。見ると3m×2mの木組の番がいくつもあった。ひとつを引っ張り出し広げると三角形になったのを見て、これにビニールを貼れば立派なテントになると皆が確信した。
 同友会有志の出店ゾーンは、新たに拡張した旭橋から札幌寄りの坂道だった。夜になり対岸から見たそのゾーンは、おそろいの三角屋根が10軒並び、白熱灯でオレンジの灯りが煌々と照らされ、幻想的に会場を演出した。
 この同友会に早くから関わり、会員の会社を営業で飛び回っていた私は、営業の先々で社長に面会し、「自分は運河を守って再生させたいと考えていますが、社長はいかがお考えですか」と臆面もなく主張し質問してきた。山さんから諭された小樽観光都市説得行脚である。ほとんどの会社経営者は包容力をもって私の話を聞いてくれた。そればかりかポートに必要な協賛広告まで何度も何度も出費してくれた。こういう方々への感謝に報いるために、運河再生と小樽再生をなんとか実現したいと心から願い、決してあきらめないと心に決めた。

企業経営とまちづくり
 中小企業家同友会は基本的に企業経営を学ぶ組織である。同友会では「良い企業」「良い経営者」「良い経営環境」を築こうという3つの目的が掲げられている。この3つ目の「良い経営環境」づくりと地域の問題である運河の命運には密接な関係がある。私が同友会行脚をしている時期には、運河問題は日の当たる表通りで自由に交わされるテーマになっていたことから、会員企業の社長から実に正直なご意見を拝聴する機会に恵まれた。同友会会員から見た「良い経営環境」の視点でのご意見である。誰一人として昭和61年以後観光都市となっていく小樽を想像もできない頃のことである。
「そうだね、観光産業という手もあるね。絶対人口が減少傾向にあるのだから、交流人口で経済効果を上げるのは合理的ですね。是非頑張ってください」
「あなたがた若い人達の想像力には驚いていますよ。事実、見放された状態の今の運河は目を覆いたくなるほどの衰退ぶり。それに対して素晴らしい絵を描いたり、多くの人々をイベントで集めたりしているのですからね」
「高度経済成長に乗り遅れて焦っている目から見ると、運河を潰して道路にする公共事業が小樽の建設業に落ちる経済効果は捨てがたいチャンスなのですよ。しかも政権を握る自民党、小樽市、小樽商工会議所という小樽の支配層がこぞってこの公共事業のチャンスを生かそうとしている。そこに君らが異を唱えるのだから実におもしろい。しかも多くの署名を集めるばかりか、多くの人々を運河に集めて祭りをするのだからビックリしています。どこからそんな発想が生まれるのか。でもそれが若いということですね。歴史は若い人が創ってきたのだからね。遠慮なく騒いだらいいですよ」
 私がお会いした社長の意見はおおまかこのような評価が多くあった。無論、このような話を迷惑がる社長もおられたが、その場合、会ってもくれなかったし、会ってもこの話には一切乗らなかったから、ご意見の記憶はない。
 いずれにしても経営環境と運河問題は切り離せない。「良い企業」「良い経営者」が経営なら、「良い経営環境」は経済ともいえる。しかも地域経済だ。経済というとこの時代、誰しもが東京や札幌との関係、つまり中央との関係を強くする認識を抱き、国家の経済政策が全ての時代だった。だから地域経済に関してのアンテナは実に短いし、それが当たり前でもあった。たとえば「小樽経済にとって運河はなぜ必要か」という問いに明確な答えを持つことは奇異にさえ思われた。だからポートフェスティバルの勢いや若者らしさでしか私自身うまく言えなかった。小樽が運河を核にした観光都市になることによって観光客が多くのお金をおとしてくれると今では言えても、そもそも当時では当てにならない予測でしかない。ホラを吹き、ハッタリをかまし、ブラッフを飛ばすという術もわきまえていない。しかしどのご意見も、私にとっては考えさせるなにかがあったし、むしろアドバイスと感じ、大いに勇気づけられたことは間違いない。

青懇とまちづくり
 大人は責任ある立場で一時代を過ごしてきた実感がある。これに対して若者は責任も実感も未熟な分、想像をたくましくする。この想像のたくましさは妄想を超えリアリティに近づこうとする。この未来への希望を確信に変える特権が若者にある。この時代、安近短旅行の情報誌も多様になり、様々な新興観光地の情報から小樽運河に相応しい脚色も若者は加えていくし、そういう新興地を積極的に見聞に出掛ける。
 同友会青年部「青懇」では毎年様々な研修旅行をした。「借金をしてでも行こうぜ」ということが合い言葉になった。北海道ではまちづくり先端を実践していた函館、北前船のふるさと加賀市橋立町、国際経験豊かな長崎、音楽性の強い沖縄などを学ぶことによって、地域それぞれが個性的なまちづくりをしている現場を学んだ。国と認めないという圧力に負けずに、また大企業も存在せずに発展している台湾にも足を伸ばし、その生命力に度肝を抜かれ、地域が国家を築き維持するたくましさを学んだ。地域の個性を生かすも殺すも、基本は人なのだと思った。

青懇長崎研修
青懇長崎研修

青懇沖縄研修
青懇沖縄研修