小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(49) 小樽こだわりのライフスタイル

馴染む過程
フリーラーター
三枝 陽子 氏


三枝一家 <写真提供:三枝陽子氏>
三枝一家 <写真提供:三枝陽子氏>

帰化経緯
 三枝陽子氏は本誌41号「帰化人」でご紹介した合気道師範の三枝丈太郎氏の奥方なので当然帰化経緯は同様である。ところが夫婦でも小樽への視点が異なる部分がおもしろい。丈太郎氏が人間性に魅力を感じる一方で陽子氏は小樽の歴史的な街並みに魅力を感じたという。童話作家で小樽出身の山中恒原作、大林宣彦監督の映画で、小樽を舞台にした「はるか、ノスタルジィ」(平成5年)が気に入り、なんと10回は鑑賞したという。この映像が青春時代の彼女の脳裏に刻まれ、初めての小樽で開花したという。
 夫が人を見て、妻が街並みを見る。いずれも小樽に帰結され、小樽に元々住む者からするとこんなうれしいことはない。

編集・執筆
 陽子氏は昭和53年岐阜県岐阜市に生まれ、かの有名な大手出版社マガジンハウスに就職される。『Hanako』『Olive』『relax』など全国版の雑誌の取材・執筆・編集を手がけられてきた。マガジンハウスといえば小樽の観光と無縁ではない。というより小樽観光の導火線役を果たしてくれた。昭和50年前後に全国の若い女性を対象に安近短旅行の市場開拓を担った『anan』は、一般のガラス店であった北一硝子の店頭で、馬そりにランプをディスプレーする映像を大きく掲載した。この馬そりとランプが「小樽のレトロ」の源となり、観光準備など全くしていない小樽に若い女性達が押し寄せた。
 丈太郎氏との間に第一子が誕生し、育児休暇を利用して小樽に滞在。その後会社を退職後に本格移住し、フリーライターとして活躍されている。
「今では長女も生まれて育児で大変ですが、この育児と家事、そして丈太郎さんのお手伝いの隙間をみつけてライターの仕事もしています。その中で、現在はNPO法人小樽民家再生プロジェクトにも加わらせていただき、私の社会的興味はこの一点に集中させたいと思っています」

NPO法人小樽民家再生プロジェクト
 小樽民家再生プロジェクトは平成25年に設立され、小樽の歴史的建造物を住居として再利用する運動母体である。長期滞在のためのシェアハウスや移住のための住宅を準備したり、小樽でのライフスタイルを支援することを目的に活動している。

NPO活動への視点
「私は俯瞰する視点より、地面を這いつくばって現場で感じることが性に合っているのですね。ですから編集の仕事柄イメージが最初に浮かびますが、取材で感じる方を優先します。古い街並みは全国にありますが、小樽のおもしろさは、そんなに古くない近代で、とても身近ですし、生活へのリアリティを感じています。そして坂の街ですから、建物の表情を上からも下からも斜めからも見ることができて、とても豊かな表情を見せてくれます。ペットや花と会話を楽しむように、私は建物と会話を楽しんでいます。編集やコーディネート的な仕事では、イメージに沿って紙面やテーマパークなどを短時間に仕上げますが、それだけでは年月をかけて馴染む現場の過程を置き去りにすることになります。同じ編集でも私はこの馴染み部分を大事にしたいと思っています。ここ1年の間に、小樽にはとてもユニークなお店が誕生しています。しかし点を線にする幾何学ではなく、点の数を地道に増やす足し算運動が大切に思えるのです。そうすると点同士が黙っていても自然につながりますよね。一気に頭で編集して結果を急ぐより、馴染む過程をたどる方に浪漫があるように思います」
 中央で鍛えられた後天的なものか、あるいは彼女自身にある先天的なものか、同じ編集に携わる者として脱帽の至りである。かつて黒松内のブナ運動の中で「木の育つ速度で」というコピーを思い出した。「地に足の着いた」という表現を借りるなら、小樽に住んでわずか数年しか経過していない彼女ほど、小樽の地にしっかりと足を着けている人を見たことがない。