小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN


編集人 石井 伸和


現実
 民間企業は利益を出すために存在しているが、蓄えられた利益を新たな社会貢献目指した事業に投資する循環が理想だ。しかし遊びに使うのも悪いことではなく、遊び産業に貢献するからだ。この世で最も気高い利益とは何かと考えた。
 政治家は票益につながる尺度で働きこそすれ国益など頓着せず、官僚は省益につながる尺度で働きこそすれ国益など頓着しないことが実に多い。国益を考える立場につけば、国内はもっと有望で豊かになる。とはいえ、そもそも国益など世界共通の金科玉条のテーマであっていいのかと思う。国益を正当化すると戦争やむなしともなり得、環境悪化にも頓着しない。国益とは「この国さえよければそれでいい」志向だから、戦争と環境悪化は不可避性を持つ。だから政治家が枕詞のように発する国益を以て気高いとはいい難い。

考え方
 気高い利益を考える方法として以下の例えを提起したい。
 日本で言えば、アナログでいうところの文明的成長に限界が達した20世紀末にデジタルが席巻しはじめた。そもそもアナログとデジタルは概念上、連続性と非連続性として対比できるが、現実はアナログで成り立っている。アナログの一部分である情報処理に儲けられた技術概念がデジタルだ。たとえば計算、表組み、入力、着色など機械的仕事をデジタル技術のコンピューターにさせ、人間はもっと創造的な仕事に打ち込むことができるという由来で普及した。デジタルはワンソース・マルチユース(一つの入力で様々な使い方ができる)という効率的なシロモノだから、この発明や発展にはこの上ない敬意を表するが、どっこい現実である人体も距離も時間もアナログそのものだ。
 アナログが軒先を貸してデジタルに母屋をとられることはないにせよ、百歩譲って対等の視点に立って見てみよう。アナログの歴史が仮に少なく見積もって2000年なら、デジタルの歴史はまだ数十年でしかない。アナログでは2000年の間に取捨選択されてきた無数の格言や教訓があり、これらが継承や教育によって今日につながっている。しかし新参者のデジタルは極端にいうと世界が始まったばかりで、ずるいこと、いやしいこと、ひきようなことなどが満載だ。アナログ世界で人間にとって最も大切とされる「教育」が欠如しているからだ。したがって「ものの道理」が非連続性のデジタルでは無視される場合が多々ある。だからアナログとデジタルとは比較されるべきではないし、比較するべきでもない。

分数的思考法
 アナログの基本的考え方は分数的思考法である。分数的思考法とは分母があるから分子が成立する関係をいう。いわゆる「ものの道理」である。たとえば宇宙があるから地球があり、地球があるから水があり、水があるから生物があり、生物があるから人間があるということで、その逆はあり得ない。その人間が村や町や国をつくるまではいい、優劣や勝敗をものともしない文化だからだ。しかし国家は解せない。国家なる不条理きわまる概念を誰が最初に思いついたかは知らぬが、軍事武装して他を脅すためにつくられ、今度は脅されないために国家をつくってきた。
 つまり武力を持って他国を恫喝することは許されない。恫喝されたから恫喝されないようにし、恫喝されにくくなれば恫喝する側に回るのも許されない。
 人間史では、人間は科学の進歩によって実に高度な物質文明をこしらえてきたと記録されるが、実は原始時代から精神文明はまるで進化していない。人間が想定しうるこの世で最も気高い利益は地球益なのに、この利益を考えない歴史しか人類は刻んでこなかった。