小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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意匠(41)

路地


店舗「小樽出抜小路」
店舗「小樽出抜小路」

名称
 路地とは『広辞苑』では「屋根などの覆いがなく露出した地面、人家の間の狭い道路」とあり、露地と書く場合『世界大百科事典』では「茶の湯の用語」として茶室に通ずる路および庭のことをいう。また似たような言葉として小路は、『広辞苑』では「幅の狭い路」とある。したがって狭い路をイメージするなら路地でも小路でも構わない。

小樽の路地「出抜小路」
 小樽を含む北海道は近代に開拓されたことから、本州などにある人馬を主役とした街道がない。この街道が国道になるケースが多く、北海道から本州へ行って国道の狭さに驚くことはよくある。
 ここでは国道、道道という主要道路以外の路地が対象だが、小樽の路地裏散策の代表格は「出抜小路」であろう。
 明治20年代、まだ運河がない時代に北前船主が沿岸に倉庫を建設すると同時に、山側にも倉庫や社屋が建設され、必然的に路地が誕生する。明治32年33年の小樽新聞に「出抜け小路」と書かれているのが最初の記録と思われるが、範囲は今日の中央通り~稲北交差点でそこで働いていた人々の俗称であったようだ。

出抜小路の拡大解釈
 昭和48年から高まる小樽運河保存運動は港湾施設の運河ばかりか周辺の石造倉庫が一体となった景観保存運動に発展した。ここに再び「出抜小路」が注目されていく。しかもその範囲は於古発川(現大正硝子館)から稲北交差点にまで拡大解釈され、「石造倉庫群の裏通り」という情緒感も込められ、市民の間に浸透していく。
 また、オタルサマーフェスティバル1992(平成4)年第7回時に「ラバーズペイブメント」と表し、出抜小路にいくつものイーゼルを配しロマンチックな小樽の写真を展示ライトアップし、恋人たちの散歩道を整備した。これを契機として「出抜小路」という名称は小樽の名所の一つに登壇することになる。