小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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インフラ(5) 地域のためになくてなはらないものたち

一般国道5号(5) 連結


市道
 花園十字街から稲北交差点までの国道5号に垂直に交わる市道は16本ある。国道5号は1920(大正9)年 国道に位置づけられ、1930(昭和5)年 現在のルートによる設計において昭和9年1月に小樽-銭函間改良工事が竣工する。一方で稲穂や花園の開拓が進められ、人口増加に対応した街区が形成されてきた。街区と街区の間には当然道路がつくられ、その多くが市道になってきた。国道や道道が動脈なら市道は毛細血管のような位置づけになる。
@元会議所線
 小樽に何十年も住んでいて、いちいち道路名まで知っている方は希であるが、名称にも由来があっておもしろい。現在の市立図書館からまっすぐ海に向かい国道に交わり、飲み屋街の嵐山通りの市道を「元会議所線」という。ちなみに小樽商工会議所の前身である小樽商業会議所は明治29年に設立され港町に建物が構えられ、明治39年に稲穂に移転、明治40年に現在の水道局のあたりに構え、昭和8年に色内に新築移転している。つまり図書館の向いの現水道局に建物があった明治40年から昭和8年までの間に「元会議所線」は命名されたと考えられる。
A高商通線
 小樽商科大学はその前身小樽商業高等学校として明治44年に開校されるが、そこから地獄坂を下り、国道と交差して三ッ山病院までの通りを高商通線という。この沿線の旧グランドホテル前から堺町に下る線は於古発川沿いを下ってくる於古発川通線に譲られている。
B稲穂学校通線
 明治28年に稲穂小学校が開校され、ここから旧丸井今井までの短い線を稲穂学校通線という。稲穂小学校前に架かっている鉄橋は、明治38年北海道鉄道開業後に整備されたが、今日のように階段はなく馬車や三輪車が行き来していた。鉄道を走るのが蒸気機関車から電車に変わる昭和42年に架け替えられ今日のようになった。
C浅草線
 緑から下って小樽警察署前を通る線は道道小樽停車場線だが、国道と交わって以後は市道浅草線と呼ばれている。明治26年に浅草観音堂が入仏教遷都式が挙行されており、浅草寺が起点となっている。
D仲見世南小路線
 現小樽経済センター(元日専連)脇から国道に交差し、北洋銀行のある稲穂大通りまでの線を仲見世南小路線という。大正3年に現都通に電気館が開業された際に、その小路に仲見世小路が大正3年前後に誕生するが、その一本南側に位置することからきている。
E竜宮線
 竜宮神社は明治2年に国有地払い下げの折、榎本武揚が小祠を設けて遠祖である桓武天皇を奉祀したのがはじまりで、大正5年に村社、昭和3年に郷社に昇格し、昭和16年に現在の建物が竣工している。

インフラと街並み
 このように市道の名称は沿線にある有名な施設の名がつけられている場合が多い。「あの建物の前あるいは脇の通りか」という理解しやすさがある。そしてその名称の由来をこうして確認すると、国道5号が大正9年に国道に位置づけられるより以前に既に市道の名称がつけられていたことがわかる。無論、小樽は大正11年に市制が施行されることから、名づけられた時にはまだ市道ではない。
 小樽の中心市街地を横切る国道5号にはこのように多くの市道が連結され、車道や歩道が整備されている。元々あったのではなく、公的な視点で計画され開発されてきたゆえに存在する。街並みはこういうインフラの上に輝いている。

元会議所線
元会議所線

稲穂学校通線
稲穂学校通線

竜宮線
竜宮線