小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalwまちづくり運動から学ぶ(27)

まちづくり運動から学ぶ(27)

政治
石井 伸和



箕輪 登
 しばらくぶりで恒治さん(佐々木恒治)から電話をいただいた。紹介したい人がいるという。同行させていただいた先は、国道沿いに建つ柏陽ビルに住まわれていた箕輪 登代議士宅だった。昭和55年1月のこの時期、箕輪氏は田中内閣の防衛事務次官の座につく雲の上の存在である。昭和37年以来佐藤栄作の主治医を務め、昭和42年から代議士となり、同期には山下元利、加藤六月、塩川正十郎、河野洋平などの著名政治家がおり、翌昭和56年には鈴木内閣で郵政大臣に就任する。当時は56歳で最も元気で政治家としても要のポストにいた。
「箕輪先生、この男が小樽で元気のいい若者、石井君です」と恒治さんに紹介されたので、元気よく「おはようございます。石井と申します。よろしくお願いします」と深くお辞儀をした。私は当然、なぜ恒治さんが自分を箕輪氏に会わせるのか?恒治さんと箕輪氏の関係は?箕輪氏は小樽の若者のどこに興味を示したのか?などその背景や目的を聞こうと思っていたが、時間もなく、余裕がないまま待ち合わせて同行した始末である。
 早朝の食事をご馳走になった。そもそも医者であるのに飯をゆっくり噛んで飲み込んだあとに煙草を吸い、その繰り返しを悠然とこなす姿に驚いた。だから食卓は煙の只中だ。まるで煙草が消化を助けるかのような自然な光景だった。今日の禁煙ブームの時代には考えられない。
「石井君、君は運河をどう思っておるのかね」と聞かれ「是非きれいにして残すべきだと考えています」と応えた。やはり運河は政治的土壌に乗っているのだと把握した。
「誰が残すのかね」
「公的機関が残すのです」
金もないのに計画変更を主張するのは絵空事ではないのかという皮肉に聞こえたが、市民が持ってしかるべき意見だというヒラキナオリが私にはあった。
「道路にするのは反対なのかな」
「道路の要不要は資料が乏しく判断しかねます。仮に必要と判断されても、運河を埋めて道路にすることにまっこう反対しています」
「計画にあがっている道路はどうする」
「現在、専門家が必要とする場合の対案を設計しています」
後に石塚雅明ら専門家が対案を作成し発表するが、設計中であることは承知していた。
「運河はそれほど価値があるのかね」
「あります。市民には歴史的な風景として、商売では観光産業として十分価値は眠っています」
 妙にテキパキと応えられた。恒治さんは心配そうな顔をしている。箕輪氏が私に何を聞こうとしているのかまだわからない。
「小樽の港湾業界や建設業界からは早いとこ道路にする計画を実行に移してと言う要請がどんどん上がっておるが」
「まるで運河の埋め立ては、公共事業で不況を埋めるための業界エゴにすり替えているような要請ですね」
「これよりも残すことが得策だというのかね」
「断然そうです。一時の食いつなぎより小樽100年の計です」
「いいかね石井君、戦後から今日までの日本の政治は、国民から上がる声によって、どれほど地域に公共事業を運ぶかが大きなテーマなのだ。なぜなら全国津々浦々まで先進国に肩を並べる便益をもたらせることが国民の幸せだからなのだよ」
「先生、僕はそれに異議を唱えているのではなく、地域の個性を潰してまでやるべきではないと思っています。この地域の個性が文化や経済にこれから必要だと考えているからです。だから道路計画をずらすべきだと思っています」
「佐々木君、よくわかりました。僕は心配していた考えではないようです。安心しました」
と恒治さんに目を移した。火がついたのは私だった。
「先生は何を心配されていたのですか」と切り返した。
「この小樽という街はね。随分と左の勢力も強くてね。運河問題がそこに起点を置いているのではないかという心配ですよ」と箕輪氏苦笑。
「石井、あとでちゃんと説明するからそう噛みつくな」と恒治さん。
 たったこれだけの会話で我々は引き揚げた。まあ私はリトマス試験紙だっただけだが、自分でも不思議なくらい明白に応えたものだと驚いた。雑誌への投稿を機に、自分で考えて整理するということを覚えたのかもしれない。いずれにしても箕輪氏の意図は見えた。与党自民党にして国家の中枢にいる箕輪氏にとって、全国に話題を発信している地元の運河問題の若手が、野党勢力の政治的意図にからめられているかどうかのリトマス試験紙として私は選ばれたということだろう。前年に喫茶店に呼び出されて、ある党かぶれの若者からポート支援をネタに新聞購読を持ち出され、お断りしたことを思い出した。この政治的視点の様々なコーディネートは実に魑魅魍魎としていると感じた。
 それにしても恒治さんと箕輪氏の関係は謎で聞きそびれたままである。

政治と運河問題
 政治には意図が必ずある。基本的には国会議員は「国益」という意図が明白にある。箕輪氏の言うとおり「先進国に肩を並べる近代化のために全国津々浦々に公共事業を」というのも総じて国益だが、そのためには地域エゴのツッパリ合いは免れない。利益誘導政治を国益という大きな風呂敷で正当化するとも思える。逆に言えば、先進国に肩を並べる近代化のために地域エゴを原動力にしているともいえる。事実、こうした政治行為と戦後の高度経済成長とが相乗効果を発揮して先進国に比肩できる国益をもたらした。この成功がアメリカの傘の下であるとか、倫理なき経済アニマルであるとか、自然破壊の正当化であるとかは別としてである。結果的にこの道を以て戦後の日本の政治の手法に重点を置いてきたことになる。
「まちづくりは政治ではない」などと綺麗事は毛頭考えてはいない。むしろ政治問題そのものだ。戦後の日本の政治手法に「待った」をかけたからだ。画一的な公共事業が地域の個性をないがしろにする過剰性を指摘した。簡単に言えば「過ぎたるは及ばざるがごとし」「覆水盆に返らず」である。地域の歴史遺産を質に入れてまで画一的な道路かという問題提起である。そろそろ政治手法の折り返し地点にいることを感じてもいた。
 同じく「市益」を考えるのが市議会議員であるが、この頃の市議会とは国会の指令を党利党略でまとめるヒエラルキーの末端になっていた。だから「運河は小樽にとって大切か否か」なんていう小樽を一本どっこで語る頭は微塵もない。したがって小樽の地域的自立を総合的に考えるなんて問題外だった。
 だから運河問題は新たな政治手法を提案しているとも考えていた。政治の論拠は世論だ。この世論の主体は市民である。だから堂々と市民世論を醸造し、市民の権利と義務を遂行しているに過ぎない。この当たり前が利益誘導の甘味体験を先入観として持つ人々には理解されない。だから誤解され箕輪氏が私の首実検をされた。
 この時期、「地方分権」や「地方主権」などという言葉は普遍化していないが、今から考えれば運河問題は「地方の自立」を考える大きなターニングポイントだったといっても過言ではない。一方政治の世界では、これまで建設業界が公共事業を誘引するために政治運動をしてきたように、様々な業界代表を立て、業界への利益誘導をもたらそうとする構造は今日も変わらない。あまつさえ、農林水族、建設族などの族議員も同様の利益誘導のツッパリ合いである。人間には欲があるからこの構造は消滅することはないが、「地球益」「人類益」を考える政治家は皆無だし、「地域を総合的に考える」政治家も未だ希である。

地域の自立
 そもそも地域の自立は経済的・文化的・政治的自立がバランスを保つことなくしてかなわない。運河問題は公共事業のありようを問う政治論議であったから政治的自立が切り口になっている。しかし駒木定正氏が提唱する「運河はもちろん残存する多くの歴史的建造物も小樽の財産だ」という文化的自立論や、山さんが提唱する「運河を綺麗にして再開発すれば観光産業の呼び水になる」という経済的自立論にも体系づけられようとしていた。
 この体系は峯山冨美氏がいう「学びながら運動する」ことで手探りの中から見いだされてきた。
 社会の全ては拡大解釈すれば経済・文化・政治でくくれないこともない。だから経済政策は多くの人々がちゃんと仕事と生活ができるシステム、文化政策は味わう感性の環境整備、政治政策は未来を展望し既存の優先順位をつけて誘導するシステムだ。経済も文化もクリエイトだが政治はコーディネートである。コーディネートは既存を素材にする。しかしこの時期、歴史的建造物の重要性や観光の可能性は目に見える既存性を帯びていないから、運河を保存再生する意味は、大衆にはなかなか浸透し難い。ともあれ地域自立の体系に気づき、その裾野議論まで確認できるのは運河保存運動の誇りである。

<写真提供:志佐 公道 氏>