小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(42) 小樽こだわりのライフスタイル

みなと文化
佐藤 慶一 氏
近藤工業株式会社 代表取締役社長

近藤工業株式会社
〒047-0001 小樽市若竹町3-1
TEL 0134-32-5500



帰化経緯
 佐藤氏は昭和34年5月に札幌で生まれ育った。昭和59年3月一橋大学経済学部卒業後、北海道拓殖銀行入行、3年間の札幌勤務後、東京本部へ転勤。国際部、事務システム部、企画部など約12年間、東京勤務。平成10年11月、北洋銀行入社、平成12年より札幌勤務。
 縁あって、平成13年3月より、家内の実家がある小樽に移住、平成15年1月、近藤工業鰍ノ常務取締役として入社、平成17年8月、代表取締役社長就任。

転 機
 長年にわたる銀行業務から、建設業へ大転身。同時に小樽に居を移した。まさに佐藤氏の人生の転機である。この転機の渦中で、これまでの札幌・東京の大都市環境から小樽を見たことになる。
「全く別世界という印象でしたね。もちろん否定的な印象ではありません。当時は人口がまだ15万人以上で、丸井デパート・グランドホテルといった都会的機能を有している一方で、みなと街、歴史のある街、観光都市といった顔を持つとても魅力的な街という印象でした。しかも大都市では目立たない山と海に囲まれ、自然に恵まれた街。市民が利用している市場も多く、旬のものを扱っているので、市場を見るだけでも新鮮で楽しく感じました。」
「最初の頃はそうした観光気分も多々あった中で、小樽の将来のことを真剣に考え、街づくり、地域の活性化、地域貢献といったことに一生懸命に、しかもいきいきと取り組んでいる方々と出会い、大変影響を受けました」

仕事を通しての印象
「小樽に住み始めて12年の間に、人口が2万人以上減少し、空き店舗・家屋が目立ち、小中学校の再編が進み、歴史的建造物が次々と消失していくなど、まちの様相がガラッと変わっていくのを目の当たりにしてきました。正直寂しいですね」
「こういう実感が、自分には何ができるのだろうという問題意識になり、それを仕事を通して考えました。当然、土木・建築技術の提供等を通した街づくりや、環境保全活動・各種イベント等を通した地域貢献、地域から求められる企業づくりというテーマがハッキリしてきました」
「そして、商工会議所が進めている港湾プロジェクトチームに関わることができ、その中で小樽港・運河などのことも色々学ぶことができ、今後、小樽の港湾遺産・みなと文化の評価と利活用といったことにも取り組んでいきたいというライフワークがみえて、私自身の生きる指針のように感じています」

輝 き
 実にわかりやすく明快で素直な指針ではないか。佐藤氏は札幌や東京という大都市から小樽に帰化された。この転身と転機が重なり、そこに「みなと文化」がほのかに輝くのを見たことになる。小樽に住んでいれば「海や港があって当たり前で空気のようなもの」なのだが、この空気に感謝して初めて見えた輝きだ。

みなと文化
 港はサンズイにチマタと書く。人々が交差する水辺を意味するように、様々な文化が交差する歴史を世界の港は刻んできた。文化の交差の媒介は人、つまり人が媒介になるから新たなものが生まれる。新たなものが生まれて根を張ればそれが文化となり、その根から派生する花や実の文明となって都市で普及する。小樽はそもそも北前船が寄港しやすい天然の良港があったことから、日本史や世界史にデビューした。北前船に積まれた荷もまた鰊や昆布などで海のものだ。海だから資源を持ち、港だから人々が集った。総資産数十億から数千億を持つ多くの小樽商人を輩出し、今日いわれる歴史的建造物が建てられた。
 小樽の観光では歴史的建造物を再利用した観光施設が牽引役となり、水も食べ物も美味しく、歴史的な街並みを楽しんでいる。まさに海や港があったからこそ観光足り得る。とすれば、小樽における「みなと文化」の存在は空気以上の潜在ではないか。
 佐藤氏のライフワークが楽しみだ。