小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(35)

色内と小樽


往年の色内大通り <写真提供:小樽市総合博物館>
往年の色内大通り <写真提供:小樽市総合博物館>

誕生
 色内は「明治3年4月 高島郡に色内・手宮・高島・祝津の4村設置<小樽港史>」(『小樽歴史年表』)なので、小樽で一番最初に地名がつけられた中にしっかりデビューしている。「明治14年7月1日 小樽郡に住初・相生、高島郡に色内・稲穂・手宮・手宮裡の各町設置<開拓使事業報告付録布令類聚上編>」(『小樽歴史年表』)とあるように村から町に昇格。

歴史的建造物
 小樽が明治から昭和初期にかけて殷賑を極めた時代の表通りこそ色内である。なぜなら今日の運河や運河から海側の港町は大正12年以後に埋め立てられたものであり、色内はまさに北海道の玄関口である小樽港に面していたからだ。
 だから倉庫が建てられたのも、商店が建てられたのも、海岸線に近い部分からという順序が見えてくる。これらの建築物で今日も残っているのが小樽の歴史的建造物の嚆矢だ。
 平成4年の調査(日本建築学会北海道支部)では色内に192棟確認されたが、恐らく戦前にはその何倍もの歴史的建造物があったと想像できる。ところが、平成24年の歴史文化研究所の調査では、103棟に減り(46・4%減)、実に寂しい。しかも色内地区のそれは、ビジネス区域であることから、ひとつひとつが大型の建物であった。

浅草通り
 通称「ウォール街」といわれたり、「日銀通り」といわれる浅草通りは稲穂と色内を貫いているが、色内部分には大型の歴史的建造物が今日も鎮座している。銀行協会などは失われたが、日本銀行旧小樽支店(金融資料館)、旧北海道銀行(小樽バイン)、旧第一銀行(トップジェント)、旧三菱銀行(小樽運河ターミナル)、旧北海道拓殖銀行(ホテルヴィブラント小樽)、泰北銀行(新宮商行)、旧三井ビル(松田ビル)、旧小樽地方貯金局(市立小樽文学館・美術館)は今日も偉容を誇り、まさに商都小樽のメインストリートである。

色内大通
 浅草通りと垂直に交差し、海岸に平行しているのが色内大通。失われたのは今井呉服店、小樽新聞社、大阪商船ビル、井淵ビル、清水合名会社、樽石手宮営業所など面目ないほどあるが、今日もまだ旧三井銀行(石屋製菓所有)、旧商工会議所、旧塚本商店、旧越中屋ホテル、旧第四十七銀行は空き家にしても、旧川田商店、旧安田銀行(花ごころ)、旧川又商店ビ(ブレ サ ヴィ プラス ミーユ)、旧磯野商店倉庫(海猫屋)、旧前堀商店(奥野邸)、旧横浜正金銀行(三立機電)、旧日本郵船、田中酒造本店などは健在だ。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの小樽を物語る色内大通には、人々が行き交い、物資が行き交う現場があった。

小樽の高度経済成長
 小樽は昭和30年から48年に起きた高度経済成長に乗り遅れたといわれるが、既に明治から昭和初期にかけていち早く高度経済成長を成し遂げたという方が正しい。なぜなら近代化の基盤はインフラであり、鉄道・港湾・道路などが明治期に整備されていたからだ。
 そういう意味では、東京・大阪などは二度に亘る高度経済成長を経験したことになる。

変遷
 殷賑から慢心、慢心から謹慎があるのは当然としても、無関心であるのは如何ともし難い。渾身の力を込めて献身的に存在することを讃えると同時に、復興に専心したい。