小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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文化素材(12)

鰊文化


産業文化
 文化なるものを狭義で解釈すれば芸術だが、「あじわい」と広義で解釈すれば、様々な分野に文化は漂っている。たとえば食べる行為は空腹を満たし栄養を体内に補給する作業だが、「旨い」と感じたり、盛りつけが「美しい」と感じたり、職人の苦労話に「すごい」と称賛したり、食材に「貴重だ」と思うことなどは文化の領域だ。
 これと同様に産業は人々の望む物を製造し、望む対価として支払われた金銭で産業従事者が報酬を得るという経済システムの単位だが、ある産業があったからそれに付随する別な産業が生まれたり、ある産業があったからその地域に固有の常識や習慣が備わったりすることは産業文化といえる。


 江戸中期から昭和初期にかけて、鰊は北海道の西海岸で大量に漁獲され、和人が移住して集落を形成するに充分な経済資源だった。因みに後志の沿岸地域である小樽から島牧に至る9市町村は、いずれも鰊の親方はじめ季節労働者(ヤン衆)によって集落が形成されてきた。
 鰊のおかげというその貢献を一言でいえば、明治20年から昭和10年までの約50年間でさえ、のべ漁獲高1千2百万石を記録し、50年間かけて20万人の人口になるまで人々の暮らしを支えた。

鰊文化
 後志沿岸各地の人口最大年と平成24年6月(後志振興局統計)の人口比較、そして鰊文化を以下列挙する。
島牧:8,075人(大正6)→1,782人、袋澗
寿都:37,880人(明治41)→3,364人、佐藤家住宅(北海道指定有形文化財)、橋本家住宅(旅館鰊御殿)、旧岡田家煉瓦蔵、袋澗
岩内:37,335人(明治41)→14,569人、身欠鰊レシピの研考会
古宇(泊・神恵内):12,472人(大正6)→2,899人、鰊御殿とまり、旧武井家客殿、旧田中家倉庫、袋澗、泊村沖揚音頭保存会、神恵内竜神鰊沖揚音頭保存会、旧澤口家倉庫
積丹:11,735人(大正6)→2,485人、積丹鰊場音頭保存会、竹谷家番屋、旧ヤマシメ邸再生
古平:9,005人(大正6)→1,885人、沢田家住宅、高野名日記
余市:28,396人(昭和10)→20,802人、旧下ヨイチ運上家(国指定重要文化財)、旧福原漁場(国指定史跡)、余市正調ソーラン沖揚音頭保存会
小樽:207,000人(昭和29)→129,918人、忍路鰊場の会、銀鱗荘(旧猪股家住宅)、にしん漁場建築(旧田中家番屋 北海道指定有形文化財)、茨木家住宅、旧青山別邸、旧茨木家中出張番屋、旧群来陣(旧白鳥家番屋)

文化を感じるエピソード
 このように後志の各地域では共通する文化や地域独自の文化が今日も息づいている。これらの取材中にいくつかのおもしろいエピソードもあった。
 余市には今も一部の店で通じる「ゴガッパ」という習慣がある。たとえば飲み屋で「ママ、今日のつけはゴガッパで」が通じるという。鰊漁は1月に仕込んで3〜4月に漁獲され5月に給金をもらう。だから支払いは「五月払い」で訛って「ゴガッパ」となる。今日では考えられないが一部の店でこれが通じるというからおおらかさとユーモアに富んでいる。
 島牧ではこれといった文化は継承されていないが、その背景には、鰊が本命で他の魚種は雑というほど鰊への希求が強く、鰊網に対して他はすべからく「雑用網」といい、鰊がとれなくなればall or nothingで潔さを感じる気質がある。
 神恵内には因幡の白ウサギを連想するような「海を歩く漁師」の写真がある。漁獲人口の少ない神恵内では、加工人員に事欠くことから漁獲した鰊の鮮度を保持するため、海岸に石を積んで枠づける袋澗を造った。いわば天然の生け簀であるが、袋網に入れた鰊を空気に触れさせないように棒で突っつく作業風景がまるで海を歩いているかのように見える。
 岩内は今日では日本一の鰊加工業出荷額を誇るが、神恵内と同様に人口が少ないことから「さっさと加工する」進化が起きた。これが鰊加工業の隆盛に継承された。また民間で組織された研考会は身欠鰊を使った様々なレシピが開発されている。