小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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分野(35) 様々な観光

寿司
おたる政寿司
常務取締役 中村 圭助氏

〒047-0024
小樽市花園1-1-1
TEL 0134-23-0011 FAX 0134-22-8118
http://www.masazushi.co.jp


おたる政寿司本店
おたる政寿司本店

常務取締役 中村 圭助 氏
常務取締役 中村 圭助 氏

寿司屋通り
 小樽観光元年といわれた昭和61年には運河散策路が完成し63基のガス燈が灯るが、翌昭和62年の「魚供養感謝祭」が契機になり「小樽寿司屋通り」が誕生する。
「魚供養感謝祭」は妙見川沿いで営業されていた寿司店が主催し、鰊で発展した小樽や食文化に感謝して毎年開催されるイベントであった。この中でリーダー役となられたのが政寿司社長の中村全博氏である。
 当時は現在のように観光が定着してはいなかったが、観光施設が整備される前から、多くの観光客が押し寄せてきた。観光客には「せっかく小樽にきたのだから、何か美味しいものを」というニーズが沸き上がっていた。
 そこで「魚供養感謝祭」の主催者の間でも議論が起き、「水産資源が豊富な小樽の名物料理に寿司があっても不思議ではない」という意見で一致し、「この通りを小樽寿司屋通りにしよう」ということから、マナーやもてなしの研修、そして個々のメニュー研究がなされ、「小樽へ行ったら寿司」という楽しみが定着してきた。

沿革
 大正3年に天塩に生まれた初代中村正之助氏は、昭和10年に東京浅草の寿司・天ぷら店で「日本一の寿司職人」を目指して修行。昭和13年小樽で政寿司を独立開店。戦後の昭和22年に屋台の営業許可第一号として妙見河畔で屋台営業を開始。昭和23年現在本店のある場所に「おたる政寿司」開店。昭和48年に現社長の全博氏が入社し、「小樽寿司屋通り」をリードされ、運河沿いに「ぜん庵」、東京に「銀座店」「新宿高島店」「キロロ店」を開店、小樽の寿司業界の先頭に立っている。

中村圭助氏
 現在常務取締役である圭助氏は、初代・二代の後ろ姿を見て育った。小樽潮陵高校、成城大学経済学部を経て、東京の寿司店銀座福助にて3年修行され、家業に就く。
「現在は情報の選択肢が多岐に亘っています。ある調査で15年前の1997年に比べると情報量は1000倍にもなっているそうです」と圭助氏が経営に関する考え方に大きなインパクトを受けた契機を語る。ただでさえグローバル化し、情報の種類が増えたばかりでなく、インターネットの普及を契機にデジタル技術によって様々な見方も増えたことがその原因だ。
「父の世代に大衆路線を真摯な態度で追求しましたが、これからは向き合うお客様はどういう方なのかをしっかり把握するサービスをしなければいけないと考えています」戦後の高度成長のつくれば売れる時代から、オイルショックの昭和48年を契機にマーケティングをしっかり把握しなければ売れない時代の延長に今日があるが、ターゲットを絞り込めればこの理論は成立する。
「ここの部分をしっかり固めないと、結局価格を下げる土壌で勝負するしかない」
 どんなお客様なら?と聞くと「食事は腹が減るからするというばかりじゃないですよね。美味しく楽しく充実した食事は誰でも望んでいます。たとえばわさびは何故サビ?醤油は何故ムラサキ?生姜は何故ガリ?とか、寿司の歴史やエピソードとか、小樽の旬ネタ、あるいは観光客なら小樽の見所とかウンチクとか、そんな会話をしながら食事をしたいと僕なら思うんです」
「サービスは一律じゃないはずです。旦那さんがサビ多めでも奥さんはサビ抜き、友人がビールでも自分は日本酒、寿司屋に来ているのに生ものが駄目な人なんて普通にいます。うちの店はスタッフで対応していますから、気の利かせられるサービスの研修、一手間かける研修を欠かしません」ターゲットへの焦点やサービスの多様性を踏まえた実に明快な経営姿勢だ。
「川には様々な石ころがありますが、たとえば赤い石を拾おうと思っているお客様がいるのだから、僕は明確に赤い石でありたいと考えています」と締めくくる。

<写真提供:おたる政寿司>