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地域資源活用ビジネス(31) 小樽独自のビジネスモデル

北海道山港物産株式会社
代表取締役 山本 一彦 氏

〒047-0015
小樽市住吉町3番1402
TEL:0134-24-2453
FAX:0134-24-2458
sankou@seagreen.ocn.ne.jp


北海道山港物産株式会社 山本 一彦 氏
北海道山港物産株式会社 山本 一彦 氏

経 緯
 山本一彦氏は昭和44年に余市で生まれ16歳で小樽へ。ダンスホールや建設屋に勤務し、22歳の時に八百屋に勤務となり今日の業務の契機をつくる。23歳で余市合同青果の業務の一環で、小樽のシーポートマーケット近くでメロンの販売を手がけると同時に、北海道山港物産株式会社を設立している。この頃には小樽港マリーナ(平成2)、石原裕次郎記念館(平成3)、シーポートマーケット(平成5)などの大型施設が勝納に集まり、小樽の観光拠点となっている。だからメロンの販売も好調だったという。この経験が接客のおもしろさとして山本氏に大きな影響を与えた。
 27歳で三角市場の一角で青果店を任されるが、古くから三角市場で水産物の販売をしていた奥村商店の奥村力治氏と出会い、山本氏は人生の師と仰ぐ恩を賜ったという。「販売・接客のノウハウや男として人間としての考え方を背中で学ばせていただきました」と語る。

転 機
 平成8年、28歳の時、この尊敬する奥村氏から誘いを受け、堺町の蒲リ商会出店に参加し、鱗商会の社員となる。同時に山本氏の奥様も協力し、鱗商会のテナントとして入居、青果販売を担った。
 この頃の堺町は小樽大正硝子館(平成2)、からくり動物園(平成3)、ホクレンふうど館(同)、小樽メセナ(平成5)、小樽オルゴール堂2号館(平成6)、銀の鐘(同)、蒸気時計(同)など続々と出店し、小樽の観光拠点の中心になる時代である。
 山本氏が苦難の中で抱えた一千万円近い借財も約4年で完済できるほど鱗商会も繁盛した。
 しかし師と仰ぐ奥村力治氏は既に他界され、山本氏の孤独との戦いも始まっていた。

独 立
 平成23年の12月〜1月を目標に独立を決意し、現在、「蝦夷屋」という店を開店させるべく準備に励んでいる。販売品目は海産物・農産物・菓子・雑貨、そしてホタテ・ツブ・メロンなどのテイクアウトだ。いわば北海道を代表する産物。約40坪の売り場を臨港線側に開店する予定だ。

時代の変化
 山本氏は勝納地区や堺町地区の全盛期に運良くビジネスの機会を得た経験があるが、時代の変化をしっかり認識して自らの出来る範囲で精一杯努力していこうと考えている。
 平成10年くらいまで、小樽へ来る観光客は北海道名物ということでカニをよく買っていたがこの需要は大きく変化する。土産品として高額なカニよりホタテ・鮭・ホッケの開き・塩辛などの日配品傾向を持つようになる。したがって多品種を取り揃える構えだという。
 また、北海道では誰もが食べて味を知っていても、観光客の多くは食べたことのないものもある。この未確認アイテムのテイクアウトを充実させようと精査している。

接 客
 戦後の販売の多くは対面が主流だった。そこにスーパーや通販という方法が浸透し、ついにはインターネット販売も広がりつつある。つまり対面販売の率が確実に減ってきた。しかし販売の原点は対面であり、観光は対面が全てである。山本氏はこの対面で、お客様の反応を22歳から八百屋を経験して以来、ずーっと分析してきた。これも奥村氏が後に強調した大事なものだ。お客様はこういった傾向から、対面を苦手とする層が増えている。だからこそ手取り足取り懇切丁寧に接客することが自分達のつとめだという。
 小売という言葉があれば大売という言葉があってもいい。だから人口・ニーズ・客層などを分析するマーケティングも存在する。ところが対面を忘れて机上の分析のみで販売戦略を講じるパターンも実に多い。
「僕は難しいことはわかりませんが、奥村さんの教えや身体で覚えてきた限りでは、対面を忘れたら販売する資格もないと考えています。そして奥村さんのように死ぬまで接客に当たりたいと思っています」という山本氏は、本来の小売にしっかり足をつけているといえる。