小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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分野(33) 様々な観光

スイーツ 館
株式会社 館
専務取締役 原田 雅之 氏
〒047-0024 小樽市花園1-4-8
TEL 0134-23-3245
FAX 0134-22-6505
harada@c-yakata.co.jp


喫茶
喫茶

沿 革
 昭和9年に光 清四氏が花園で「ダリア」という喫茶店を開業。当時は大正時代からの本格的な西洋化が小樽にも波及しモボ・モガなどが流行していた。いまでは喫茶店というジャンルになるが、当時はそういった人々のサロンとなっていく。
 光氏が、常連となった国松 登という道内屈指の画伯から、「館」という店名の提案を受けたのが昭和11年。国松氏の命名由来は不明だが、おそらく「鹿鳴館」といった国際的な社交場で、西洋的イメージの「館」だったと思われる。日本的には「庵」や「荘」だが、西洋だと「館」ということかもしれない。この昭和11年を機に、現在地に「館」がオープンする。コーヒーを全国に販売拡大していた神戸の石水商事と取引をはじめ、自家焙煎によるコーヒーを提供する。
 戦後になり、初めて洋菓子を学びに何度も東京の先端を見にでかける試行錯誤の10年間は苦労の時代だった。昭和30年代に冷蔵庫が普及し、それまでの常温のバタークリームから低温の生クリームを研究し、この生クリームと同時に、道内初の口の中で溶けるスポンジケーキを開発した。また、隠し味として道内では初めてブランデーやリキュールを使用し、館独自の洋菓子が完成する。カステラも所謂長崎カステラではなく全く独自の開発に挑戦した。
 この過程で「美味しく、大きく、安いケーキ」という社是が生まれる。
 昭和40年代後期から50年代中期まで札幌パルコのデパ地下に出店し、一店舗の売り上げで全国一位を記録する。

観光と館
「生ケーキを源流として洋菓子を作り続けてきた当店ですが、生ケーキのイメージが強いのか、土産品となる菓子の認知度は今ひとつの感がありますね。ご来店いただければ、充分土産となることが説明できるのですが」と原田専務はいう。
 また「観光客の導線は堺町から寿司屋通りで途切れ、花銀にまではなかなか来ません」と憂う。

原田視観
「札幌では、観光拠点間に距離があるが、小樽のそれは連続されている」という。つまり札幌は点と点のままだが、小樽は点と点が結ばれ線になってきている。例えば運河と堺町、寿司屋通りと花銀、公園通りと小樽公園という具合で全てつながっている。札幌はこの拠点間に都市構造が食い込んでいるから観光の視点でいえば、小樽ははるかに札幌をしのぐ観光基盤が出来ているので、この利点を伸ばす努力が必要だという。
 また、「喫茶店は文化人、飲み屋は経済人」そんな特徴があるという。確かに料亭に政治・経済人が集い、喫茶店で文化人が議論してきた風景の記憶が多い。
 いずれも社交・交流の場であるが、酒一杯、珈琲一杯を媒介にして、心の豊かさを醸造する場である。「文化で飯は食えぬ」というが、「文化を食い物にする」のが政治や経済だ。一方、「政治や経済に媚びる文化」もないわけではないが、元来、文化は独自のスタンスを持つから食い物にされる運命を持つ。が、「それでもいい」とする毅然さが美しいから、文化は廃れない。「文化を醸造する喫茶店にもムードやメニューや味という文化がある」からこれを追求すると原田専務はいう。

観光花銀
 ある日、大型客船が小樽に寄港したが、朝の8時に入港し9時からの自由時間に降り立ったアメリカ人夫婦が、どこも開いていない街並みを歩き、都通の「オンディーヌ」 のパンづくりを窓から暫く眺め、10時開店の館に来店し、エクレアをテイクアウトされた。このとき、1936(昭和11)年開業と聞き、夫婦は驚いたという。
 原田専務は「もっと我々は歴史の重みを表現しなければなりませんね」と感慨をもらす。
 特に花銀は別名本店通りというくらい、館をはじめ新倉屋・米華堂・かま栄などが本店を構えている。例えば私設博物館を各店で一坪のスペースでいいからディスプレーで展示すると、それだけで観光価値が出てくる。さらに歴史を反映した土産開発をすることにより販売効果も生まれる。点から線へ、そしていま線の充実の時代かもしれない。