小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

真実
編集人 石井 伸和


真実と事実
 太陽を真実と仮定してみて。太陽に触れられる?所有できる?無理だよね。だからせめて、太陽の光に映える月の灯りを愛でることで、人は太陽の真実性を間接的に感じてる。人のけなげさ、人のはかなさだね。
 もっと身近な仮定でいうと、情熱的に思っていることを形にしたとき、こんなもんじゃないって普通は感じるよね。そう、抽象を具象にするには多くを切り捨てなきゃできないってことに似ているかもね。
 真実ってさ、触れられないし、所有すべきでないし、感じた途端あるいは形にした途端にこぼれてしまう。風を感じた瞬間その風はもうそこにいない、夢から覚めた途端に現実に戻る、光を消した途端影も消える、そういうもんなんじゃないかな。

真実と信念
 所有できないからといって、ない!って心から消して、事実の絡繰りだけが人生だなんて思ったりしないでほしい。確かに事実の絡繰りは人間社会に大きなインパクトを与えるけど、事実のスクランブルの中で生きていて、真実めいた気配ってのを感じるだろ?それが人に平等に与えられた能力で、そこから先が大事、それが信念ってやつ。
 真実の信じ方、真実を信じる姿勢、真実に向き合う面構えってことじゃない?だとすれば、人は信念を通してしか真実に出会うことができないし、人それぞれに信念があっていいから、真実は一つでも信念はいっぱいあっていいと思うよ。

所 有
 お金があれば所有できる。所有することがお金の目的の一つ。真実は所有できないからお金で買えない、真実に出会うためには信念しかないんだね。真実めいたものに、あるいは真実の気配のひとつに愛がよくテーマになる。愛することは所有することでも所有されることでもないし、結婚して苗字が変われば所有された感なんて無理。信念の認め合い、信念の支え合いってとこに落ち着くしかない。

信 念
 じゃ信念はどこから?これも千差万別で人の数だけあって不思議はない。
 たとえばつらい経験で突起してしまったトラウマと戦って、乗り越えた自分の苦労の中に見た「もしかしたら」であったり、団体行動に馴染まない性格を逆手にとって得た「もしかしたら」であったり、突き詰めた問題意識の過程でひらめいた「もしかしたら」であったりする。それは真剣で正直な姿勢でなければ、「もしかしたら」を逃げ道と見間違えてしまうほど、見極めが厳しいけどね。
 そう、この「もしかしたら」がその人の信念の卵だね。「もしかしたら」は陰謀を見抜いたり、手掛かりから犯人像をとらえたりする場合も、研究者が発明するきっかけになる場合もそうだよね。共通するのは妥協しないで、真剣に問題に取り組んでいる人にしかひらめかない。
 そうしている自分がいて、いつかふと、まるで神が舞い降りたようにそのチャンスを与えてくれるんだ。

進 化
 そうして信念めいた「もしかしたら」を得たとしよう。その感動で人は十分幸せになる。ここまではいい。幸せの実感は慢心への入口にもなる。その罠にはまると人を認めなかったり、人を強制したり、挙げ句の果てには裸の王様になってしまう。「俺も人並み外れた苦労をしてつかんだ信念があるんだ」と、そうするともう疑心暗鬼の「もしかしたら」しかひらめかなくなる。
 信念が求心力も遠心力も失ってっしまうほどリアリティがなくなるんだ。
 いいたいのは、信念も進化させる姿勢を維持しなければならないってこと。つまり真実といつも向き合い、まるであの人のそばにはいつも真実があるってことになる。こういう人がおもしろいし、こういう人でありたいね。
 そうすると、息を抜いた時にひらめいたり、酔ってヘロヘロになったときにひらめいたり、そんなアフターサービスまで神は面倒見てくれる。

だから
 お金を儲けたとか、一等賞をとったとか、新しいものを手に入れたとか、そういう事実は自慢の種だけど、誇りには程遠い。たゆまぬ真実を追う姿勢が誇りだよね。だから、悲しいことも、苦しいことも、悔しいことも、最後に残った誇りが支えになると思うんだ。