小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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地域資源活用ビジネス(25) 小樽独自のビジネスモデル

株式会社 小樽観光振興公社
〒047-0007 小樽市港町4-2
・観光船・屋形船
 TEL:0134-29-3131
・レンタサイクル・駐車場
 TEL:0134-24-9477
 FAX:0134-29-4323

http://www.otaru-kankousen.jp/



第三セクター
 昭和57年2月に設立、同年5月に営業開始した株式会社小樽振興公社には現在「祝津号」「オタモイ号」という2隻の観光船と、屋形船「かいよう」がある。小樽市が45%出資の第三セクター。
 振興公社保有の2隻の観光船は共に昭和51年竣工で、かつて島根県で活躍していたものを化粧直ししたもの。
屋形船は海陽亭の女将の希望で韓国人の篤志家が無償で建造し、これが昭和63年に小樽市に寄贈された。
 振興公社では観光船運航の他、300台収容の駐車場やレンタサイクルの事業を行っている。

おおらかな時代
 祝津には、昭和33年6月水族館、同年7月に鰊御殿が誕生し、同年7月5日〜8月31日北海道大博覧会小樽会場が設置された。鰊御殿はこの博覧会における北炭のパビリオンという位置づけであった。
 この北海道大博覧会を契機として、いまでいう実行委員会が小樽〜祝津間の観光船を運航したと思われる。
 以後これを機に、漁船や機帆船などが無許可で運賃をもらって小樽〜祝津間の運行をしていたアナーキーな時代があった。漁船は大漁旗を掲げていたというから、いかにも威勢がいい。機帆船というのは20トン未満で運河に入れる小さな船で小樽機帆船組合なるものも存在し、基本業務は浜益や利尻・礼文に物資を運んでいた。
 祝津には現在の青塚食堂の前浜に桟橋が並び、降りてすぐ水族館だった。昭和49年まで水族館は祝津の海岸渕にあった。いっぽうでは、第三埠頭や運河などから乗降していた。「出る方もいい加減なら入る方もまたいい加減」そんな時代だった。
 いかにも戦後のドサクサらしく、また高度経済成長真っ盛りの昭和のおおらかさを感じるエピソードだ。

共同通船
 戦前に二つの通船会社があり、昭和16年に企業合同により共同通船が誕生する。今も40代以上の小樽っ子は第三埠頭の桟橋や小樽市港湾部のビルを共同通船という御仁が多い。この共同通船という同名の会社が函館にもあるが全く別である。小樽の共同通船は何度も社長が代わり、昭和50年前後に倒産している。また小樽〜祝津間の運行はまったくしていない。

小樽観光振興公社
 振興公社が運行する船3隻の利用者は年間2万人〜2万5千人で微減で推移している。札幌周辺や旭川など海のない地域からの利用者が8割と多い。
 小樽〜祝津間の遊覧では鴎の餌付けが楽しめ、オタモイへは小樽人も驚く絶景が楽しめる。また料亭の女将が夢見た隅田川的な屋形船はいかにも情緒満点の風物詩だ。
 折角小樽に住み、あるいは折角小樽に来たのなら、海の絶景と情緒を味わっていただきたい。
 古川常務理事は今後の展望をこう語る。
「この施設を子供達の社会教育に役立ててほしいと考えています。しかし時代は段々窮屈になっていますね。父兄から危険だと思われ、学校側から責任論が強調される傾向が強くなっています。私は漁協の仕事に長年携わってきた者で、多少荒れても漁師は漁に出かける世界にいました。また昭和のおおらかな頃に育ってきたので、大事な体験をするのに法律や責任がそれを押し込める風潮を感じています。ですから安全面の環境を徹底してなんとかこの展望を実現していきたいと考えています」
 極めて感慨深い指摘だ。大事な体験や教育を危険性や責任で避けて通ることが直接的な原因ではないが、この国の年間自殺者は平成10年以後3万人台と膨れあがっていることを考えれば、ある程度の清濁のバランスは現場に必要ではないか。

受付時間
観光船・屋形船
・4月〜10月 9:00〜17:00
駐車場
・4月〜11月 7:00〜21:00
・12月〜3月 7:00〜19:00
レンタルサイクル
・4月〜10月 9:00〜17:30