小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

コミュニティ経済
編集人 石井 伸和


資本主義
 資本主義にはいろいろな理屈が唱えられているが、自由を前提とした一定の資本によって生産された商品が市場に登場し、自由を前提とした消費者がそれを購入するという仕組みは変わらない。いずれも生産する自由と購入する自由が保障されるが、この「自由」、大きく二つに分かれていく。資本の論理とコミュニティのリアリズム。
 資本の論理とは、徹底的に合理的な材料を仕入れ、徹底的に良い商品を生産し、徹底的に経費をかけないで販売することをいう。
 いっぽうコミュニティのリアリズムというのは、資本の論理と同じ仕組みを遂行するが、それが一定の域内経済圏での成立を基盤とするようなビジネスの場合、たとえば地域の人々が圧倒的なお客様であるような場合、仕入をするときに「いつもあの方が買ってくれるからあの方から仕入れる」というリアリズムをいう。極論すれば仕入れも販売も同一人物という関係である。この関係は人口の少ない地方や、どこにでもある商品の場合に顕著に普遍化している。

小樽の経済圏の変遷
 明治から昭和初期にかけて小樽は北海道随一の経済の街だった。明治初期から商業を中心に様々な業種が移植され、明治30年代から企業同士をユニットとして商業会議所をはじめ同業組合や連合という組織がどんどん誕生していく。これは一企業が経営環境改善を目指して社会的なポジションを獲得していく意図があるからだ。そして同時に大局的視点での資本の論理遂行を目指すための情報収集の機能を持たせた。つまり小樽のビジネスは、中央から仕入れ北海道全域に卸す、あるいは北海道全域から仕入れ中央に卸すという大局的なチャネルに拠って立っていたから、余計にその傾向が強かった。
 ところが第二次大戦を挟んで、彼らの拠って立つ全ての条件が喪失し、一気に斜陽化し、昭和39年まではなんとかこれまで整備された都市基盤を求めて人口が増え、歴代ピークの20万7千人を記録した。都市基盤を求めて来た人々が人口の多い小樽の人々をお客とする域内ビジネスに就いていく。人口が多いからそれは充分成立した。域内ビジネスが成立する過程でコミュニティ経済圏も浸透してきたといえる。

身近な経験
 私の親は小樽で会社を経営していた。子供の頃、洋服を買ってくれるという母に連れられて出かけたが、母は当然会社に注文を頂いている洋服店に私を連れていく。しかしその洋服店には色気づいてきた私が好む洋服がない。「こんなのいらない」とダダをこねる私はよく叱られた。仕舞には「もうお前には何も買ってあげない」とツムジを曲げられた。色気づいた少年少女が好む洋服は札幌にはふんだんにあった。つまり色気づいた人々の好む資本の論理を徹底する商店が、次第に小樽から消えていくことを、子供心で痛切に感じた。もちろんそんな理屈など考えられなかったし、また小樽への愛着などはこの頃はなく、「だから小樽は嫌い」という我が侭に走ったに過ぎない。
 小樽で社会人になってしばらくして「この街はつきあい社会だ」と感じたことがある。そう感じるほど、お世話になっている人々とのつきあいで、なんとか商売が維持できるという場面を何度も経験した。
 こうして小樽経済は今日に至ったから苦しい。

飲み込まれる宿命
 コミュニティ経済を認めないわけではない。維持する大事な原動力でさえある。むしろ愛おしいとさえ思う。だから危機感を感じている。放置していれば、無防備であれば、近い将来必ず資本の論理に飲み込まれていく。
「小樽で買い物をしよう」と商工会議所が呼びかけている。「会員同士の取引を増やそう」と中小企業家同友会が呼びかけている。「BY小樽運動」を青年会議所が呼びかけている。どれも大賛成だ。しかし詰めが甘い。「おたくから買いたくなるためにはもっとこうしてくれ」という相互提案が皆無だ。買う側はより多くの情報を収集して決断するのが法則だ。これを無視して「おたくから買ってるのだからうちから買ってよ」では座して飲み込まれるのを待つしかない。
 コミュニティ経済には味わいがあるし、地域経済活性化の一助にもなる。なくしてはならない理念でもある。だから相互提案のネットワークが必要だ。「あそこでこんなサービスや商品があるけどおたくは」と言われたらせめて、「近いものはあるけど、そのものでない変わりにこういうサービスや商品では」という関係からはじめればいい。買う側が勝手に「あそこにはこれがないから」と他に行ってしまわずにである。